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広島高等裁判所松江支部 昭和41年(ネ)80号 判決

主文

原判決中、控訴人敗訴部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、控訴代理人において乙第六ないし第八号証を提出し、被控訴代理人において当審証人粟田喜一の証言を援用し、右乙号各証の成立を認めたことを付加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

一、訴外粟田喜一が昭和三四年一〇月三一日訴外山口又治郎からその所有の原判決表示(イ)及び(ロ)の家屋を、賃料一ケ月八、〇〇〇円、期間三ケ年の約で借受け、その旨登記し、かつ敷金として山口に二五万円を提供したこと、これより先山口が昭和二八年四月二〇日訴外住宅金融公庫のため(イ)の家屋に、同三一年八月二〇日訴外商工組合中央金庫のため(ロ)の家屋に、夫々抵当権を設定登記していたところ、右抵当権の実行により、控訴人が昭和三五年四月一三日右(イ)の家屋、同年一二月八日(ロ)の家屋を競落してその所有権を取得し、粟田に対する賃貸人としての地位を承継したこと(なお、粟田は民法第三九五条にもとづく短期賃貸借としての保護を受けることになる)、その後昭和三七年一〇月三一日賃貸借期間の満了により粟田の賃借権は消滅したが、その際同人に賃料債務の延滞がなかつたこと、以上の事実は当事者に争いがない。

右事実により、控訴人は本件家屋(イ)(ロ)の所有権を取得し、粟田に対する賃貸人たる地位を承継し、その結果粟田が前賃貸人たる山口に差入れていた敷金二五万円を受けついだことが明らかである。

二、ところで、家屋の賃貸借に伴い賃借人が賃貸人に差入れた敷金の性質は、通常賃料債務のみならず、右賃貸借契約から生ずべき賃借人の一切の債務を担保するものであり、そのうちには賃貸借の終了の後賃借人が家屋の明渡、返還をなすべき義務の履行を怠つたことによる損害賠償債務をも包含するものと解されるところ、本件においては成立に争いのない乙第五号証によれば、前記山口又治郎と粟田喜一との間の賃貸借契約条項において「右敷金ハ家屋明渡ノ際借主ノ負担ニ属スル債務アルトキハ之ニ充当シ、何等負担ナキトキハ明渡ト同時ニ無利息ニテ返還スルコト」と明記されることが認められるから、賃借人たる粟田の右敷金返還請求権は賃貸借契約の終了によつて当然に発生するものではなく、賃貸借終了後家屋を明渡しと同時にそれ迄に賃借人に生じた債務(明渡義務不履行による損害賠償債務を含む)を控除した残額につき始めて返還請求権が発生するものといわなければならない。

三、次に原審証人西本廉夫同竹内煕佐男の各証言により真正に成立したと認められる乙第一号証の一及び二、同第二号証、成立に争いのない同第八号証並びに原審証人西本廉夫、同竹内煕佐男、原審及び当審証人粟田喜一(但しその一部を除く)の各証言によれば、控訴人は粟田喜一との賃貸借契約が終了した後、昭和三七年一二月二六日本件家屋(イ)(ロ)をいずれも訴外竹内煕佐男に売渡すと共に、当時粟田が未だ明渡義務を履行していなかつたため、賃貸借契約終了の翌日から売渡しの日に至る迄の粟田に対する明渡義務不履行にもとづく損害賠償債権並びに過去及び将来にわたり生ずべき粟田に対する右損害賠償債権の担保としての敷金を竹内に譲渡し、その頃その旨粟田に通知したことが認められる。原審及び当審証人粟田喜一の証言中、右認定に反する部分はたやすく措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。なお、控訴人は、粟田において控訴人と竹内との間の敷金譲渡を承認した旨主張するが、本件の全証拠を精査するも右事実を確認するに足る証拠はない。

そして賃貸借契約の存続期間中に賃貸人がその所有家屋を他へ売却し、新所有者において賃貸人たる地位を承継した場合、旧賃貸人が取得した敷金の効果を新賃貸人において当然承継することは既に多数判例の認めるところであるが、本件のように賃貸借終了後賃借人の家屋明渡義務不履行の間に家屋の所有権が移転した場合、新所有者が当然に敷金を承継するか否かについては必ずしも明確といい難いところがある。しかしながら、前記のとおり本件賃貸借にあつては敷金は単に賃貸借契約存続中の賃料債権のみならず、賃貸借契約終了後の明渡義務不履行にもとづく損害賠償債権をも担保するものと解される以上、家屋の譲渡によつて直ちに右敷金の担保的効力が奪われるべきではないから、少くとも旧所有者と新所有者との間の合意があれば、賃借人の承諾の有無を問う迄もなく、新所有者において右敷金を承継することができるものと解するのが相当である。なお、以上のごとく解することによつて賃借人が受けるべき不利益、即ち賃借人が家屋明渡義務を履行し、敷金返還請求権が現実に生じた場合、新所有者の資力不足のため返還を求め得られなかつたときは、旧所有者にその責任を追及する余地があると解せられるから、この点は前記解釈の妨げとならないものと考える。従つて、前記認定のとおり、控訴人と竹内との間において本件家屋(イ)(ロ)を売買する際、控訴人が竹内に敷金をも譲渡したことにより、竹内において右敷金の担保的効力と条件付返還債務とを控訴人より承継したものと認められる。(なお、控訴人が右敷金を竹内に譲渡した際、その迄の粟田に対する家屋明渡義務不履行にもとづく損害賠償債権は法律上当然に右敷金のうちから対等額をもつて弁済に充当され、その差額が竹内に譲渡されたものと解すべきであるから、控訴人が従前の損害賠償債権と共に敷金二五万円全額を竹内に譲渡したということは法律上いささか正確を欠く嫌いがあるが、この点は本判決の結論の上に何等影響を及ぼすものではない。)

四、そして、原審証人壱岐宗一の証言により真正に成立したと認められる甲第一号証、成立に争いのない乙第四、第六、第八号証並びに原審証人竹内煕佐男、同壱岐宗一、原審及び当審証人粟田喜一(但しその一部を除く)の各証言によれば、粟田喜一は前記賃貸借終了後も不法に本件家屋の占有を続け、竹内煕佐男より明渡と損害賠償請求の訴訟を提起され、一・二審とも敗訴し、明渡と一ケ月金二四、九四七円の割合による賃料相当損害金を支払うべき義務のあることが確認され、これに対し上告したが、その間昭和四〇年三月三日頃訴外壱岐宗一が仲介に入り粟田と竹内との間において、粟田が同年三月三一日限り本件家屋を明渡すことを約すと共に、竹内は粟田に対する賃料相当損害金債権のうちから本件敷金及び竹内がそれ迄に粟田所有家屋に関する賃料債権を差押え取立てていた金員一五万四千円を控除し、かつ粟田所有の電話加入権を一応一〇万円に評価し代物弁済として譲受けることにより、残余の損害賠償債権を放棄する旨の和解が成立し、粟田は上告を取下げ、同年四月三日頃本件家屋を明渡して竹内に返還したことが認められる。以上の認定に反する原審及び当審証人粟田喜一、原審証人粟田静子の各証言は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして、敷金の前記担保的性格に鑑みれば、家屋明渡が遅延したことによる損害賠償も法律上当然に敷金から控除されてゆくものと解せられるから、竹内が控訴人より承継した本件の敷金は、一ケ月金二四、九四七円の割合により遅くとも賃貸借終了後一一ケ月、即ち昭和三八年九月末日迄に生じた賃料相当の損害金に充当され消滅したものと認めなければならない。されば、たとい被控訴人がその主張するごとく昭和四〇年一月二七日粟田に対する執行力ある債務名義にもとづき本件敷金に対し差押転付命令を受けたとしても、右敷金は既に消滅し存在していなかつたものであるから、被控訴人はこれを取得するに由ないものといわざるを得ない。

五、なお、被控訴人が差押転付命令を得た当時、粟田喜一は末だ本件家屋を明渡さず不法に占有中であつたから、敷金返還請求権発生の条件が成就していなかつたことが明らかなところ、転付命令はこれによつて被差押債権を券面額で直ちに差押債権者へ移転させるものであるから、転付命令発令の当時金額が不確定でありかつ無条件に支払を請求できない敷金返還請求権のごときは転付命令の対象となる適確性を有しないものと解すべきであり、また被控訴人の得た転付命令は既に敷金を竹内煕佐男へ譲渡した後の控訴人を第三債務者としているのであつて、これらの点からみても有効な転付命令とは到底解することができず、被控訴人が右転付命令によつて本件敷金返還請求権を取得したとは認めることができない。

六、よつてその余の点につき判断する迄もなく、被控訴人の本件敷金返還請求は失当であるから、これを認容した原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

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